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なぜ新規事業は失敗しがちなのか

 

 ここで、一般的になぜ新規事業は失敗しがちなのか、考えてみる。

 

 そもそもなぜ新規事業に手を出すのか。次の理由が考えられる。

 

1.本業がうまくいかず、新規事業で挽回したい。

 

2.本業はうまくいっているが新規事業により新しい売上の柱を作りたい。

 

 まず、本業がうまくいっているかいっていないかで考える。本業がうまくいっていないのであれば、その本業を立て直すのが先である。新規事業に手を出してしまえば、経営者はその新規事業に自分のエネルギーをとられ、本業の立て直しがおろそかになってしまいがちである。そうなると、本業でもっと赤字が出てしまうことになりかねない。

 

 また新規事業を全面的に、ある社員に任せるにしても、よほど優秀な社員でないかぎり、その新規事業を軌道に乗せるのは難しいのではないだろうか。ましてや中小企業である。新規事業を軌道に乗せられるような優秀な社員はなかなかいないものである。新規事業は経営者がリーダーシップをとらなければ、軌道に乗りにくいものである。こういう理由で、本業がうまくいっていない会社が新規事業に手を出しても、なかなかうまくいかない。そういう会社は、まず本業を立て直すのが先である。

 

 次に、本業はうまくいっているが、新規事業により新たな売上の柱を作りたい企業。こういった企業の場合は、本業がうまくいっていない企業よりは、うまくいく可能性が高い。本業がうまくいっているということは、その企業自体にビジネスで利益を上げるようにする力があるということである。そこができれば、新規事業もうまくいきやすいのである。

 

 しかし時々、大やけどをしてしまう企業がある。一気に会社を成長させようと、分不相応な投資をしてしまう企業である。大やけどをしてしまえば、会社自体の存続にも影響が出る。

 

 新規事業は本業から派生した事業、関連性の高い事業で行う方が成功の可能性は高いし、必ず部門別会計を行い、新規事業での利益をたえず注視しておくべきである。

 

 そして何年何月までにこれだけの売上・利益が出なかったら撤退する、という損切りラインも決めておきたい。新規事業の失敗で本業にまで影響が出てはいけない。しかし新規事業を行っていかなければ会社が成長しにくいのも確かである。バランスを保ちながら、新規事業に取り組んでいきたいものである。

 

■社会保険、税金……

 

 中野がコンサルタントに入って、長崎田村運輸の財務状況を精査してみると、多くの未払いがあることが分かった。まず社会保険料の滞納が6,000万円あった。次に税金の滞納が1,500万円あった。税金は消費税と源泉所得税の滞納であった。赤字会社であれば法人税はかからないため、消費税や源泉所得税の滞納が多くなる。

 

 しかしそれらの税金は、そもそも預り金である。消費税であれば売上先から預かって税金を納める。源泉所得税であれば社員の給与から天引きして税金を納める。このような預り金は、法人税のような税金と違って、その企業自身が負担するものではなく、ただ預かるだけのものである。そういう預り金である税金に対して、税務署は厳しい。しかも納税は、国民の義務である。しっかり払うことが当たり前である。しかしそのお金がない……。

 

 中野が入ってまず行ったのは、金融機関の融資のリスケジュールである。社長は、金融機関にはいい顔をしたくて、最初に金融機関に返さなくちゃダメだ、という考え方をしていた。時は平成21年4月。まだ中小企業金融円滑化法が始まる前であった。経営改善計画書を作り、社長が金融機関を訪問しリスケジュール交渉を行う。それに中野は付き添った。

 

 同社が融資を受けていた金融機関は2つ。H信用金庫をメイン銀行とし、他にI銀行であった。2つの金融機関に対し、融資総額は2億5,000万円で、毎月250万円程度の返済があったが、交渉によってその返済を0円としてもらった。

 

 しかし問題は、社会保険と税金である。中野が入って3ヶ月ぐらい経った時、税金の管轄は長崎税務署から国税局に移管された。滞納が1,000万円以上になると国税局に移管される。国税局は、税務署より対応が厳しい。

 

「払うのか、払わないのか」

 

 田村社長がいくら状況を説明しても、そんな話はいっさい聞いてくれない。「払うのか、払わないのか、どっちなんだ。払わなければ、資産を全部差押えする」という姿勢である。滞納は1,500万円あるが、早く支払っておくにこしたことはない。結局、親せきから借りるなどして、1,000万円は用意することができ、まずこれを支払った。

 

 社会保険料の滞納は6,000万円もあった。社会保険料の管轄は年金事務所であるが、同社はそれまで、さんざん、資産を差押えするなどと言われてきた。

 

 当初1年ぐらいは、月3回ほど、田村社長は国税局や年金事務所に行き、状況報告と交渉を行った。そしてなんとか分割支払いに応じてもらえるようになった。